歴史は繰り返す「【ジョージソロスの話】Vol:6」|FX|外為オンライン FX取引 − あなたの為の、外為を。

歴史は繰り返す


ジョージソロスの話

第六話:大勝負



1985年9月、ニューヨークの高級ホテル「プラザ」に、先進五カ国の蔵相、中央銀行総裁が極秘裏に集い、

各国が協調してドル高を是正する政策を話し合った。

いわゆる「プラザ合意」です。

当時の日本の大蔵大臣は、故竹下登、日銀総裁は故澄田智だったと記憶している。

この年、ソロスはアメリカ経済が崩壊の危機に向かっていると憂慮していた。

「帝国主義的循環」におけるアメリカの経済成長と軍備拡張のために必要な信用貸付の拡大が、最終局面に来ていると確信していた。いずれ救済策が実施されるに違いない。

そして救済策は、通貨市場が手におえぬほど巨大化し、アメリカや他の経済大国の利益に反する動きを見せはじめるだろうと。

当初、ソロスはドルを売り、円やマルクを買っていたが損をしていました。

しかし、「プラザ合意」をきっかけにドルが急落し、ソロスはその日、一晩中懸命に円を買いあさったそうです。

それから六週間、各国中央銀行はドルを押し下げ、10月の終わりには13%下げ、1986年9月までには153円まで落ちました。

ソロスは総額で15億ドルを投入しレバレッジを効かせ,円とマルクにそのほとんどをつぎ込んだ。その他、石油、株、債券にも投資し総額40億ドルもの空売りと空買いのポジションを仕掛け、空前の利益を上げました。

こうして1985年はソロスにとってすばらしい年でした。

クォンタムファンドは、前年比122.2%もの驚くべき成長を記録し、84年末には4億4809万ドルだったファンドは85年末には10億3100万ドルにまで急増していまた。
この年、雑誌<フィナンシャル・ワールド>は、ウオール街の長者番付100人の中でソロスを第2位にランクしました。

同誌によると、ソロスはクォンタムの収入から自らの取り分として6600万ドル、手数料として1750万ドル、さらにファンドの顧客からのボーナスとして1000万ドルを稼ぎ出し、その年ソロスは9350万ドルを稼いだと伝えています。



To be continued・・・
次回は、10/28(火)の予定です。


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外為オンラインのシニアアナリスト 
佐藤正和

邦銀を経て、仏系パリバ銀行(現BNPパリバ銀行)入行。
インターバンクチーフディーラー、資金部長、シニアマネージャー等を歴任。
通算20年以上、為替の世界に携わっている。
・ラジオNIKKEI「株式完全実況解説!株チャン↑」出演中。
・Yahoo!ファイナンスに相場情報を定期配信中。