本日より「外国為替アカデミー」欄の「歴史は繰り返す」をスタートします。
本ページは原則週二回(火曜、木曜)に掲載する予定です。
内容につきましては、金融、経済を中心にシリーズでお届けできるものを予定しておりますが、
時にはタイムリーなもの、あるいは何か大きな出来事等があった場合にはそちらを優先させることも
ございます。
第1回目は【統一通貨ユーロ誕生の歴史】です。<全5話>
ヨーロッパ大陸は戦争の歴史です。
国境も宗教も言語も民族も異なる国々が自国の栄華を求めて、侵略と略奪を繰り返し
時には
加害国になり、時には被害国にもなりました。
そんな歴史を辿ってきた欧州大陸が通貨統合に向け動き出すのには長い時間を要しました。
1957年に欧州共同市場の設立を目指すローマ条約調印、58年には欧州経済共同体67年には
欧州共同体が発足し、徐々に欧州統合の機運が高まってきました。
そして、1970年のウェルナー(ルクセンブルク首相)を委員長とする特別委員会が発足したこと
から通貨統合実現への動きが本格化してきました。
72年に「スネーク」という準固定相場制度を開始しますがが、この制度はドルの影響を排除できず、
結局、78年に崩壊してしまいます。
しかし同年に発足した欧州通貨制度(EMS)は、その失敗の経験を活かしドルを介さず加盟国通貨の
バスケットである新しい通貨
ECU(エキュー)※を導入しました。
※バスケット通貨=ECU(エキュー) 加盟国それぞれの国の通貨を加重平均してかご(バスケット)に入れるイメージからバスケット通貨と呼ばれました。 |
ただ、変動幅については、通貨の安定を望むEMSが基準値から
上下2.25%と定め、それを超えるような変動には加盟国が自国通貨を使って介入することを
義務づけたのです。
また、為替レートが比較的安定していることから欧州市場では「ECU建て債券」※が頻繁に発行され、
日本の大手企業からもかなりの本数の債券が発行されて為替市場の流動性供給に一役かいました。
※「ECU建て債券」を発行することにより 「ECU建て」で発行された債券は主に欧州の機関投資家に販売され、払い込まれた外貨(ECU)は 円に転換される必要から為替市場に流動性を供給しました。 |
※尚、このサイトは情報提供を目的としており、投資勧誘を目的とするものでは、ございません。投資の最終判断はご自身でなさるようお願い致します。 本サイトの情報により皆様に生じたいかなる損害については弊社及び執筆者には一切の責任を負いかねます。 |
外為オンラインのシニアアナリスト
佐藤正和
邦銀を経て、仏系パリバ銀行(現BNPパリバ銀行)入行。
インターバンクチーフディーラー、資金部長、シニアマネージャー等を歴任。
通算20年以上、為替の世界に携わっている。
・ラジオNIKKEI「株式完全実況解説!株チャン↑」出演中。
・Yahoo!ファイナンスに相場情報を定期配信中。