統一通貨 <ユーロ>誕生の歴史
第三話:統一通貨「ユーロ」の誕生
1999年1月、基準を満たした欧州10ヵ国により「ユーロ」が誕生しました。
それらの国々とは
ドイツ(マルク) | オランダ(ギルダー) |
ベルギー(フラン) | フランス(フラン) |
イタリア(リラ) | スペイン(ペセタ) |
ポルトガル(エスクード) | アイルランド(ポンド) |
オーストリア(シリング) | フィンランド(マルカ) |
以上の10ヵ国で、ギリシャ(ドラクマ)はこの年には条件をクリアできず2001年に
参加することになります。
新通貨「ユーロ」はこれ以降、国際為替市場の荒波にもまれることになりますが発足当初は
為替市場での取引量も少なく、独マルクや仏フランなどユーロ圏参加国の自国通貨が国内外で
通用し続けていたことや、ユーロ圏の実質GDP成長率が米国に比べて低かったことなどで
弱含みに推移し、2000年の10月にはユーロ誕生以来の安値0.827まで売られました。
現在の対ドルレートのほぼ半分だったことになります。
以下のチャートを確認してみましょう。
各国が努力して厳しい基準をクリアしてできたユーロですが、市場では通貨統一による
メリットよりもデメリットの方を意識するようになったようです。
すなわち、通貨統合によって、金融政策や域外に対する為替政策が共通化されるため各国の
経済状況の不均衡を、為替レートによって調整することが出来なくなることや、共通通貨の
価値を安定させるため、各国の財政政策の自由度も制限される、といったマイナスの部分です。
このように、2000年から2001年にかけては統一通貨「ユーロ」にとっては苦難な時代が続くことになったわけです。
To be continued・・・
次回は、5/8(木)の予定です。5/5(火)につきましては、お休みさせていただきます。
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外為オンラインのシニアアナリスト
佐藤正和
邦銀を経て、仏系パリバ銀行(現BNPパリバ銀行)入行。
インターバンクチーフディーラー、資金部長、シニアマネージャー等を歴任。
通算20年以上、為替の世界に携わっている。
・ラジオNIKKEI「株式完全実況解説!株チャン↑」出演中。
・Yahoo!ファイナンスに相場情報を定期配信中。